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【記者発表】固体表面上の氷の形成を操る“水”の構造の秘密を解明――氷の形成は基板表面付近の水の秩序構造で決まる――

○発表のポイント:
◆ 氷の核形成が氷と表面の「親和性」よりも、表面近くの水分子の秩序(低次元構造)により決まることを明らかにしました。
◆ 分子シミュレーションを用いて、2層の水が順番に秩序化し、氷が成長する"階層的結晶化メカニズム"を解明しました。
◆ 本成果は、気候変動予測(雲中の氷形成)や凍結制御材料(防氷コーティング・医療用保存技術など)の開発に貢献することが期待されます。

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固体結晶基板上での不均一氷核生成の様子。色分け:六方晶氷(緑)、0型氷(赤)、立方晶氷(黄)、
クラスレート(橙)。

○発表概要:
 東京大学 生産技術研究所 着霜制御サイエンス社会連携研究部門(研究当時)/同大学 先端科学技術研究センター 極小デバイス理工学分野 田中肇シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)兼同大学名誉教授と同大学 生産技術研究所 着霜制御サイエンス社会連携研究部門 サン ガン特任研究員(研究当時)の研究グループは、氷がどのようにして固体表面上で形成されるかという長年の謎に対して、新たな理解をもたらす研究成果を発表しました。これまで氷の固体表面上での不均一核形成(表面に誘起されて氷の「芽」ができる現象)(注1)は、主に表面の「親水性(濡れやすさ)」や「氷と基板の結晶格子の相性の良さ」などに依存していると考えられてきましたが、本研究はこれに対し、氷の形成は実は表面そのものよりも、表面に接する液体水の秩序化の程度に大きく依存していることを、分子レベルで明らかにしました。
 具体的には、高精度の分子動力学シミュレーション(注2)を通じて、液体水が表面付近でどのような構造をとるかを詳しく調べたところ、氷の核は、まず表面直近の「2層からなる接触層」で秩序ある六員環構造(注3)が現れ、それが2次元六方晶氷(注4)の形成を促し、それがさらに3次元的な氷の形成につながるという階層的な構造化を経て形成されることがわかりました。特に驚くべきは、最も氷の形成が促進されたのが、親水性が"中程度"の表面であった点であり、これは従来の「親水性が高いほど良い」という常識に反する結果です。
 この研究成果は、氷に限らず、シリコンやシリカといった四面体液体(注5)の表面結晶化にも共通する普遍的な機構である可能性が高く、気候モデルにおける氷粒子形成の理解、低温保存や凍結制御技術、さらにはナノマテリアルの設計指針にまで幅広く応用が期待されます。

 本成果は2025年6月4日(水) 18時(日本時間)に「Journal of Colloid and Interface Science」のオンライン速報版で公開されました。

○発表者コメント:田中 肇 名誉教授の「もしかする未来」
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氷は身近な存在でありながら、その誕生の瞬間を分子レベルで理解することは、長らく困難でした。本研究は、"氷のような表面"が重要なのではなく、"氷になりたがる水"をどう表面が育てるかが本質であることを明らかにしました。今後はこの知見を活かし、気候モデルから凍結保存まで幅広い分野で"氷の誕生"を自在にコントロールできる技術へとつなげていきたいと考えています。

○発表内容:
 氷の形成(氷核形成)は、大気科学、生物物理学、材料科学において極めて重要な現象であり、例えば雲の生成、飛行機の着氷、凍結保存、さらにはタンパク質結晶化に至るまで広範な現象に関係しています。とりわけ、自然界の氷核形成の多くは、表面が存在する環境で生じる「不均一核形成(heterogeneous nucleation)」であり、その微視的なメカニズムの解明は、氷の生成制御にとって鍵を握っています。
 従来の理論的枠組みである古典的核形成理論(以下、CNT:Classical Nucleation Theory)(注6)は、界面自由エネルギーや濡れ角(接触角)といったマクロな熱力学量を用いて氷核の生成確率を記述してきましたが、この理論は分子スケールでの液体と固体の相互作用や、液体構造の秩序性を十分に捉えることができません。また、実際の核形成挙動がCNTによる予測と著しく乖離することもしばしば報告されており、表面における"局所的な液体秩序構造の影響"を取り入れた新しい理論的枠組みが求められていました。
 本研究では、液体水の挙動を原子スケールで正確に再現可能な水のモデル(TIP4P/Iceモデル)を用いた分子動力学シミュレーションを行い、氷形成の初期過程を詳細に追跡しました。固体基板には単純立方格子(注7)を採用し、原子との相互作用強度(親水性)を制御することで、広範な表面特性を網羅的に調べました。特に注目したのは、氷の前駆状態とされる"液体の秩序構造"の形成過程です。
 解析の結果、固体表面付近の水の構造の変化が表面誘起結晶化に重要な役割を演じていることが明らかになりました。表面付近の水は固体との引力相互作用が強くなるにつれ、表面に引き付けられ、その結果層状の構造をとるようになり(図1(a))、さらに水素結合の角度も自然な109.5°から90°に大きく変化することがわかりました(図1(b))。この水の液体構造の変化を反映した結果、氷核の形成は単純な一段階過程ではなく、階層的な構造化プロセスであることが明らかとなりました。例えば、最も氷ができやすい中間的な親水性の場合、まず、表面に接する接触層(第1層)において、分子が平坦に並び、六員環を中心としたネットワーク構造が出現します。続いて、その上層(第2層)にも同様の構造が誘導され、最終的に3層以上の領域にわたり氷結晶が成長していくという「2次元的前秩序 → 3次元的結晶成長」というシナリオが観測されました。
 特筆すべきは、氷の核形成確率が最も高くなるのが"中程度の親水性"を持つ表面であった点です(図2)。親水性が高すぎると、水分子が過剰に表面に吸着し、秩序構造の形成が抑制され、逆に親水性が低すぎると接触が不十分で構造化が進行しません。この結果は、氷との基板結晶の格子整合性に加えて、「液体水の局所的な構造秩序」が核形成を主導することを示しており、従来の古典核形成理論を補完する新たな視点(結晶前駆体誘起結晶化機構)の重要性を強調します。
 加えて、表面近傍で形成される液体構造は、いわゆる3次元的な氷構造とは異なり、低次元的(準2次元)秩序(注8)であることが明らかになりました。この秩序は氷との構造的整合性を直接持たない固体表面の場合でも形成され、かつその有無が氷核形成に強く影響するため、従来の"氷と基板結晶の類似性"による議論とは本質的に異なるパラダイムが示されたと言えます。
 この知見は、四面体構造をもつ液体(例:シリカ、シリコンなど)においても適用可能な可能性が高く、表面に誘起された結晶化に対する普遍的な理解の構築へとつながります。さらには、最近注目されている機械学習を用いた表面設計においても、本研究のような分子スケールの力学的・構造的洞察は、解釈性や汎用性を補完する知識として価値があります。
 今後は、本研究で得られた"表面近傍での液体の階層的構造化"という知見を出発点として、より複雑な実在表面(例えば大気中の鉱物粒子やバイオ分子表面など)における核形成挙動の解析や、制御的な氷生成・抑制技術の開発が期待されます。これにより、気候変動の予測精度向上、凍結保存技術の高効率化、さらにはナノ材料や医療技術への応用が広がると考えられます。

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図1: T = 210 K における界面液体の層構造および次元性。
(a) 固体表面近傍における液体水の層構造。氷核生成前、 T = 210 K における液体水の密度分布(相互作用(親水性)強度 ε = 0.01、0.02、0.03、0.04、0.05 eV)。挿入図:基板と接する液体水の層構造の程度 L は、 ε の増加に伴って増加します。(b) 接触層に存在する水分子と、破線で結ばれた2つの隣接分子によって形成される角度 θ の分布(挿入図を参照)。緑と青の破線は、それぞれ主なピーク位置 θ ₀ = 109.5° および θ ₁ = 90° を示します。

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図2:表面に誘起された結晶化の核生成速度。
T = 210 K における不均一核生成速度Rの相互作用(親水性)強度 ε に対する依存性。

参考文献
1. T. Kawasaki, H. Tanaka, Formation of a crystal nucleus from liquid, Proc.Natl.Acad.Sci.(PNAS) 107 (32), 14036-14041 (2010).

○発表者・研究者等情報:
東京大学
 生産技術研究所 着霜制御サイエンス社会連携研究部門 研究分担者(研究当時)
 先端科学技術研究センター 極小デバイス理工学分野
  田中 肇 シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)/東京大学名誉教授

 生産技術研究所 着霜制御サイエンス社会連携研究部門
  サン ガン 特任研究員(研究当時)(現:北京師範大学 教授)

○論文情報:
〈雑誌名〉Journal of Colloids and Interface Science
〈題名〉The secret role of water's structure near surfaces in ice formation
〈著者名〉Gang Sun, Hajime Tanaka* *責任著者
〈DOI〉10.1016/j.jcis.2025.137812

○研究助成:
本研究は、ダイキン工業株式会社との契約に基づき設置された着霜制御サイエンス社会連携研究部門において、一部、文部科学省科学研究費 特別推進研究(JP20H05619)の支援を受け実施されました。

○用語解説:
(注1)不均一核形成(heterogeneous nucleation)
 液体中で固体が形成される際に、容器の壁や不純物、他の固体表面など「異種の物質」が足がかりとなって結晶の核ができる現象。氷の形成においても、多くは空気中の粒子などの表面でこの現象が起こる。

(注2)分子動力学シミュレーション(Molecular Dynamics Simulation)
 原子や分子の運動を、ニュートンの運動方程式に基づいて時間発展させる数値シミュレーション手法。物質の構造や相転移、力学応答などを原子スケールで解析することができる。

(注3)六員環構造
 水の分子同士が水素結合により環状に6個並んだ構造。氷の結晶構造の基本単位であり、この構造の形成が氷核生成の指標として用いられる。

(注4)2次元六方晶氷
 2次元六方晶氷とは、水分子が固体平面上に六角形の格子構造を形成した非常に薄い氷の形態であり、ナノスケールの表面や限られた空間内で安定に存在することが知られている。

(注5)四面体液体
 水やシリカ、シリコンなど、各分子(または原子)が近接する4つの分子と四面体的に結合している液体。特異な構造と物性を持ち、通常の液体とは異なる相転移挙動を示す。

(注6)古典的核形成理論(CNT:Classical Nucleation Theory)
 結晶の核形成をエネルギー的な観点から記述する理論。主にマクロな物性値(界面張力、濡れ角など)を用いて、核ができる確率や臨界サイズを定量化する枠組み。ミクロな分子構造や動的効果は考慮されない。

(注7)単純立方格子
 単純立方格子は、最も基本的な結晶構造の一つで、原子が立方体の各頂点に1つずつ配置されている格子構造を指す。

(注8)低次元秩序(準2次元秩序)
 3次元空間に存在する液体にもかかわらず、ある層状構造内で分子が特定の方向に並ぶなど、2次元的な(あるいは一部制限された)秩序構造をとること。結晶化の前段階として重要な役割を果たす。

○問い合わせ先:
〈研究に関する問い合わせ〉
東京大学名誉教授
東京大学 先端科学技術研究センター
シニアプログラムアドバイザー(特任研究員) 田中 肇(たなか はじめ)
Tel:03-5452-6125 
E-mail:tanaka (末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

〈報道に関する問い合わせ〉
東京大学 生産技術研究所 広報室
Tel:03-5452-6738 
E-mail:pro(末尾に"@iis.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

東京大学 先端科学技術研究センター 広報広聴・情報支援室
Tel:03-5452-5424 
E-mail:press(末尾に"@rcast.u-tokyo.ac.jp"をつけてください)

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